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No.138

川崎病の歴史

感染症 | 2009年09月発信

川崎病は主として4歳以下の乳幼児がかかる病気で、5日以上続く発熱、両眼の充血、口唇の発赤、首のリンパ節の腫大、発疹などの症状が出現します。病気の本態としては、全身の血管に炎症が起こることですが、その原因はまだ解っていません。
この病気は小児科医である、川崎富作先生が1967年にはじめて報告しました。先生は1961年に初めてこの病気の患者を経験し、以来50人の患者さんを積み重ね、1967年の報告となりました。
では、川崎病はいつごろから存在していたのでしょうか? 詳細な入院記録が残るT大学病院の調査では、1950年以降、川崎病と認められる入院記録が存在していました。おそらく1930年頃は川崎病はなかったか、あってもごく少数で、1950年頃より、増加したと考えられています。この疾患を独立した疾患であると発見された川崎先生の偉業は、この疾患をKawasaki Disease として世界中の小児科の教科書にその名を記しています。現在世界中で患者を認め、米国でも、毎年5000~10000人の患者の発生を見ています。
1967年、先生の報告後、当時最も権威ある大学の医学部教授が、川崎病を新しい独立した疾患と認めなかったため、以後5年間は小児科学会での討論の場が閉ざされてしまいました。
先生は「形骸化したアカデミズムがいかに柔軟性を欠き、“未知なるもの”に鈍感であるかを、表したエピソードである」と書かれています。
1970年、厚生省の研究班により、最初の全国の患者集計が行われました。約3,000人の患者さんが集計されましたが、その中で20数例の突然死の症例が存在していました。川崎病は報告当初は、「自然治癒し、後遺症を残さない」将来の心配のない疾患とされていましたが、症例の詳細な検討により心臓に血液を送る冠動脈に巨大な瘤を形成し、急性心筋梗塞を起こし突然死する可能性が判明しました。現在、川崎病は後天性の心疾患の中で最も頻度の高い疾患です。1970年代前半には死亡率は1~2%もありましたが、治療法としてガンマグロブリンによる治療法などが導入され90年代には、0.1%以下となり、突然死の可能性は川崎病にかかっていない人と同レベルまで減少しています。
1970年以降、2年ごとに川崎病は研究班により全国集計が行われ、1982年と1986年に全国的な流行を認めました。2000年以降は患者数は増加傾向となり、2005年から2008年は年間1万人を超え、さらに増加傾向にあります。
川崎病の真の原因が解明され、川崎病になった人が生涯にわたり安心できる治療体制が築かれることが望まれます。